Story-2
芭蕉とともに歩く。
東京と山形をつなぐ「おくのほそ道」物語。

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写真提供:一般社団法人江東区観光協会

松尾芭蕉が『おくのほそ道』で辿った足跡を、現代の私たちが徒歩でたどる——。それは、時を越えて風景や言葉の余韻に身をゆだねる、静かな旅となるでしょう。東京と山形、ふたつの県にまたがる芭蕉ゆかりの地を、当時の彼の姿や心象に思いを馳せながら巡ります。
旅の起点は東京都の「隅田川テラス」。芭蕉が深川を出発し、船で千住へ向かった際に見送られたという隅田川沿いの道です。川面に映るビル群の間に、「夏の月」や「行く春や鳥啼き魚の目は泪」がふと重なる瞬間が。芭蕉が旅の前夜を過ごした「採荼庵跡」から、舞台は山形県へ。「おくのほそ道」最大の難所である山刀伐峠を前に芭蕉が英気を養ったという「赤倉温泉」では、湯煙たなびく渓谷の湯に足を休めながら、自然と人との共生の美しさにふれることができます。「山寺芭蕉記念館」では、芭蕉が詠んだ名句「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の景色を今も変わらぬ姿で体感。そして最上川舟下りの起点となるのが、「芭蕉乗船の地」。急峻な山間をどうどうと音を立てて流れる最上川に、「五月雨をあつめて早し最上川」の一句が実感となって訪れるでしょう。
舟を降り、旅の終盤は庄内地方へ。鶴岡市「羽黒山」の参道は、杉木立の石段を一歩一歩踏みしめるごとに、心が澄み渡るよう。酒田市の「日和山公園」は、港町として栄えた当時の面影を残す高台。日本海へと沈む夕日を前に、芭蕉は「暑き日を海に入れたり最上川」と詠みました。そして旅の終点は、遊佐町の「十六羅漢岩」。日本海に面した岩場に並ぶ羅漢像は、風と波にさらされながらも黙して立ち続け、旅人を迎えます。一歩一歩を踏みしめながら、ひとつひとつの言葉を噛みしめながら歩く「おくのほそ道」は、芭蕉が見た風景の先にある「想い」をたどる旅になるでしょう。

東京

①隅田川テラス(江東区)

都会の中で自然と水辺を身近に感じられる散歩道。

隅田川テラス

写真提供:一般社団法人江東区観光協会

東京都心を流れる隅田川の両岸に整備された遊歩道。浅草、両国、築地、中央大橋など歴史や風情のある名所を結びながら続いており、全長はおよそ28㎞。
川沿いには隅田公園や浜町公園といった緑豊かな場所が点在し、散策の途中にひと息つけるベンチや広場も整備。隅田公園には春になるとソメイヨシノが咲き誇り、川に映る景色が訪れる人々を楽しませます。隅田川花火大会や舟遊びなど、四季を通じてさまざまなイベントも。

採荼庵さいとあんあと跡(江東区)

旅立ちの庵に、弟子たちに愛された芭蕉の姿を想う。

採荼庵跡

写真提供:一般社団法人江東区観光協会

芭蕉の門人として蕉門十哲の一人にも数えられ、経済的な支援を惜しまなかった杉山杉風(すぎやま さんぷう)の庵室・「採荼庵」。元禄2年(1689)、松尾芭蕉はここから『おくのほそ道』の旅へと出発しました。海辺橋橋台地には旅姿の芭蕉像が設置されています。また、仙台堀川の海辺橋から清澄橋の間の護岸に設置された「芭蕉俳句の散歩道」には、「おくのほそ道」の旅程と代表的な句の高札が掲げられています。

山形

③赤倉温泉(最上町)

難所越えに挑む旅人をあたたかく癒す川辺の湯。

赤倉温泉

出典 赤倉温泉観光協会

赤倉温泉

出典 赤倉温泉観光協会

清流・最上小国川の両岸に広がる赤倉温泉。川沿いに立つ約10軒の宿は、すべて自家源泉! 豊富な湯量で源泉かけ流しの新鮮な湯が楽しめます。赤倉スキー場へも近く、冬は温泉とウィンタースポーツを一挙に楽しむ人も多くいます。

④山寺芭蕉記念館(山形市)

観光と学びを両立できる、大人の旅にふさわしい文化拠点。

山寺芭蕉記念館

出典 山寺芭蕉記念館

山寺芭蕉記念館

出典 山寺芭蕉記念館

山形市・山寺の高台に佇む「山寺芭蕉記念館」。芭蕉の自筆の書簡や俳句、弟子たちによる貴重な書画、旅の行程をたどる地図、江戸期の俳諧資料などが並び、映像展示では俳聖の生涯や「おくのほそ道」の世界をわかりやすく紹介。記念館中庭からの景観は、立石寺の五大堂や奇岩群、四季折々の風景が広がり、山形県の「やまがた景観物語100のおすすめビューポイント」の一つに選ばれています。

⑤芭蕉乗船の地(新庄市)

日本三大急流のひとつ・最上川舟下りの起点だった場所。

芭蕉乗船の地

出典 新庄デジタルアーカイブ

山形県新庄市本合海。1689年(元禄2年)、松尾芭蕉と曾良はこの地から最上川下りをはじめました。現在、最上川と新田川が合流する川岸には、新庄東山焼製の芭蕉と曾良の陶像が並び、並木越しに「五月雨を集めて早し最上川」の句碑が。最上川右岸には中世の城(楯)である「八向楯」があり、雄大な流れに白い絶壁が映えて絶景のひとこと。対岸には矢向神社があり、古くから舟人の安全を見守っています。

⑥羽黒山(鶴岡市)

神気に満ちた参道は、芭蕉の時代から変わらぬ荘厳さ。

羽黒山

出典 やまがたへの旅

羽黒山

出典 やまがたへの旅

出羽三山のひとつ・羽黒山の表参道として知られる羽黒山参道は、古くから多くの修験者や巡礼者が歩んできた霊地。元禄2年(1689年)、松尾芭蕉は弟子の曾良とともにこの参道を登りました。そのとき詠まれた句「涼しさやほの三か月の羽黒山」は、夏の山中で感じた澄んだ空気や、月明かりに照らされた神域の静けさをよく表しています。

羽黒山

出典 やまがたへの旅

随神門から参道を踏みしめていくと、国宝五重塔や二の坂茶屋など見どころがいっぱい。自然と信仰、文学がシンクロするこの道は、まさに「おくのほそ道」の真髄が息づく場所です。

⑦日和山公園(酒田市)

港町・酒田を一望する高台の公園。芭蕉をはじめとした文人墨客の足跡に出会う。

日和山公園

出典 やまがたへの旅

日本海と酒田港、さらには最上川河口や出羽三山を一望できる小高い丘の上に広がる日和山公園。園内のあちこちに港町ならではの歴史モニュメントがあり、散策路を歩けば自然と史跡巡りのプチ旅に。

日和山公園

出典 やまがたへの旅

芭蕉は元禄2年(1689年)に酒田へ上陸し、詠歌や交流を重ねたと伝えられています。夕暮れ時には、六角灯台越しに日本海に沈む夕陽が見事な眺めを演出し、私たち現代人にとっても忘れられない風景となるでしょう。

十六羅漢岩じゅうろくらかんいわ(遊佐町)

芭蕉の見た風景に、漁師たちへの安全祈願を込めて。

十六羅漢岩

出典 やまがたへの旅

十六羅漢岩

出典 やまがたへの旅

日本海に面する磯岩に彫られた、22体の磨崖仏。海で命を落とした漁師たちの供養と海上安全を願って建立された悲願の絶景です。松尾芭蕉の旅した時期よりも後の造立ですが、展望台には彼の句碑「あつみ山や吹浦かけて夕涼み」が刻まれており、芭蕉がこの地の風景に心を留めたことが伺えます。
周辺には出羽二見と呼ばれる夫婦岩があり、しめ縄で結ばれた岩の間を夕日が通る姿は「縁起が良い」として地元でも愛されています。